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Martin De Wulf

本記事は、原著者の許諾のもとに翻訳・掲載しております。

リモートワークのストレス ソフトウェアエンジニアリング業界では、リモートワークは大いに理にかなった働き方です。大抵はPCとインターネット接続さえあれば仕事ができるからです。よって、決まったオフィスに毎日通って働く理由は比較的少ないため、リモートワークはIT職の重要な要素になっています。最も先見的な求人市場とは決して言えないベルギーにおいてさえもです。とはいっても多くの場合、リモートワークが認められるのは週の一部のみ(おそらく週に1日か2日ぐらいが一般的)にすぎません。それにもかかわらず、リモートワークは大部分の企業で導入されるようになってきたのです。

リモートワークには多くの利点があると言われており、この働き方を過激なまでに擁護する声もよく耳にします。その多くには同意するものの、リモートワークを5年以上してきた経験から言えるのは、リモートワークにはストレスが付き物だということです。そう聞くと驚く方もいるかもしれませんが、結局のところ私はここ2年、とりわけほぼ完全にリモートワークだった2016年6月から2017年6月までの1年間、リモートワークのせいでダメージを受けている気がします。

では、なぜリモートワークにストレスが多いのでしょうか。

人間的なやり取りがない

リモートワークでのコミュニケーションは、チャットや、毎日のスタンドアップミーティング、場合によっては隔週のグローバルミーティング(振り返り、会社の現状)、タスクやバグレポートを管理するJira、大量のメールといったお決まりの手段に頼りがちです。定型的な仕事をするにはそれで問題ありませんが、会社との距離感を感じる時もきっとあるでしょう。そうしたコミュニケーションの大部分は文字の形で行われたり、複数人を相手に行われたりするため、世間話やカジュアルな情報には適していません。職場の雰囲気について雑談するだけでもプロジェクトを円滑に進めるのに大変重要な情報を得られることを考えると、この状況では仕事に支障が生じる可能性があります。ただし最大の問題は、コミュニティの一員としての感覚が乏しくなることです。

また、文字でのやり取りは、よく知っている人との間でも誤解を招きがちです。それだけでなく、専門的なプログラミング作業のため一日中キーボードをタイプしていれば、自分がテキスト処理マシンにでもなった気がして、コミュニケーションまで文字で行うことに嫌気が差すかもしれません。

そんなわけで、リモートワークを始めてしばらく経ってからは、以前は非生産的で時間の無駄だと思っていたコーヒー片手の雑談が恋しくなることも度々ありました。特に、チームの他のメンバーが同じオフィスや場所で楽しそうに働いている場合は、チームからの疎外感を感じたのです。

割り込みとマルチタスク

開発者としてリモートワークをする場合、チャット(通常はSlackやHipchat)は自分と会社をつなぐライフラインに早変わりします。多くの人はチャットで連絡を取ってくることになるからです。そして私にとって、チャットで早く反応することはオフィスに定時に着くことと同じ意味を持っています。信頼できるイメージを与えられるのです。ということは、休憩をたくさん取っている印象をあまり持たれたくない場合は、例えば昼食を取りながら通知をこまめにチェックした方がよいかもしれません。あなたが午前中ずっと仕事をしている様子を皆が見ていたか、ちょうど仕事仲間と話している時であれば、それほど早く反応する必要性は感じないでしょうが。私は実際、リモートワークをしている他の仕事仲間がチャットであまり早く返信しないために非難されるというケースに度々遭遇しました。

チャットでは自分の姿が皆に見えないので、割り込まれて構わない状況にあるのかをきちんと察してもらえないことも問題の一端です。したがって頻繁に割り込まれるわけですが、私のような性格の方であれば、早く返信しなければならないと感じるでしょう。つまり、仕事の手を度々止めることになるのです。そして念のためお伝えしておきますと、プログラマは割り込まれることをひどく嫌います。集中力が途切れるため生産性に多大な悪影響を及ぼすからです。

リモートチャットを使う際には別の問題もあります。自分が別の人とすでに話している場合でも他の人にはそれが分からないことです。私は同時に3つの会話に対応したことも数え切れないほどありますが、個人的には、特にその日のうちに仕上げたい仕事がある時にはストレスの元ですね。

また、仕事ではない事柄(大体はミーム)に関する気晴らし的チャットも多く、これは会話量が非常に多くなりがちです。少なくとも、こうしたチャットを大抵ミュートするのはごくまともな判断のように思うのですが、ミュートを解除した時にそれまでの色々な話を理解するのが大変になってしまうでしょう。カジュアルなチャットは、リモートワーカーには得がたい”オフィスの雰囲気”をつかむための唯一の機会かもしれませんが。

働き過ぎる

仕事を引き受けている時の義務には、2つのタイプがあります。

「結果の義務」は、期日までに特定の結果を出す義務です。開発者の場合は通常、特定のバグや機能開発に関するスプリントを完了することを指します。

「方法の義務」は主に、毎日いくらかの時間を仕事に費やし、その時間内で生み出した結果を提出すればよい義務です。

私は初心者ではありませんから、ソフトウェアエンジニアリングの多くの仕事は最終的に、方法ではなく結果が最も重要であることは分かっています(何の成果もなければ、しまいには仕事を切られるはずです)。しかしリモートワークでは、自分が働いている姿を皆に見てもらえていないため、たとえ1日8時間より大分長く働くことになるとしても、日々結果を示す義務感をより強く感じるかもしれません。例えば私の場合、設定の問題や顧客からの電話で数時間費やしてしまっても、その日の仕事を仕上げる義務感に駆られたことは数え切れないほどあります。働かずに怠けていたのではないかと思われたくないからです。一日中PCの前にいる自分を皆が見ているのであれば、その日の仕事を翌日以降に持ち越すことをもっと気楽に考えられたでしょう。

その結果、私には2つの状況がもたらされています。自分のアウトプットの信頼性が大変評価されていることと、深刻な過労です。BasecampのJason Friedによれば、 リモートワーカーは働き過ぎる ということこそ、リモートワーカーを管理する際の真の難題だといいます。

結局、私にとって過労は信頼性の問題に帰着します。会社は自分を大いに信頼して独自の条件で働くことを認めてくれているわけですから、その代わりに、オフィスにいた場合よりも実際もっと働かなくてはならないと常に感じるのです。

家にいる父親として

一日のかなりの時間を自宅で過ごす場合、家族からは、あなたの時間が実際以上に融通の利くものと見なされます。子どもを立入禁止にしたい仕事専用のスペースがあるとしても、「ちょっとだけ」と言ってあなたに頼み事をしたくなるのです。特に子どもにとって、家のスペースを区別して考えるのは難しいことです。実を言えば、私自身にとっても難しいのですが……。

ビデオ通話も少々ストレスの生じるものになりがちです。例えば、自分が顧客とビデオ通話をしている時、背後に子どもが映り込んでくる羽目になるかもしれません。以下の動画は非常に有名な一例です。

Farewell 2017. Thank you for giving us this. ???? pic.twitter.com/tIUAzNnIUU

— BBC (@BBC) 2017年12月31日

「さらば2017年。レポートをありがとう。」 また、皿洗いなどの家事をする義務感との闘いに直面する人もいます。私の場合は家事の義務感を感じたことはあまりありませんが、妻と時々気まずくなりました。家にいるのに汚れた皿を食卓に一日中置きっぱなしにしていた私を、妻は理解できなかったようです。私としては、仕事の手を止めたくなかったのでした……。

孤独感との闘い

自宅で仕事をしていると、大変寂しくなることがあります。私は独りの時間がかなり好きですが、それでも仕事仲間と画面でしか会えず夜は家族と過ごすという日々を2週間も続けると、かなり悲しくなってしまいます。ペアを組んで開発していた時のコミュニティとの一体感が恋しくなるのです。

SNSはその寂しさと闘うのに多少役立つかもしれませんが、SNSしか解消手段がないなら、PCを使って仕事をしている状況と物理的に大差ありません。しかも、SNSに時間を多く費やすと、 逆に幸福感が減ってしまう とも言われています。

結局、私は多くの時間を独りで過ごすことにひどく嫌気が差してきて、孤独感は精神衛生や心的状態にかなり悪影響があると感じるようになりました。このことは、 よく指摘されている 現象です。

孤独感と闘う方法としてよく勧められているのは、「コワーキングスペース」で仕事をすることです。私は、コワーキングスペースには一長一短を感じています。利用するのに結構な出費を伴いますし(会社が負担してくれるとは限りません)、多くの場合は利用条件があります(大抵、最低1カ月単位で要登録)。コワーキングスペースを利用すると社会的つながりを構築できますが(私の場合、特に Betacowork では仕事の機会を多数得られました)、料理、マッサージ、ミートアップなど交流を促すイベントが日々目白押しで、休暇に楽しむキャンプのようになってしまうリスクもあります。

ちなみに、私は交流イベントのないコワーキングスペースにも行ったことがありますが、孤独感を解消するために行った場所で一日中誰とも話さないのではあまり意味がないような気がして、割と早くやめてしまいました。ですので、強いられた交流に関しては懐疑的になっています。

コワーキングスペースを利用する別の問題としては、通勤に長い時間をかける生活が復活するかもしれません。すると、移動に取られた時間を埋め合わせようと、ほとんど休憩も取らず気が散らないよう一日中ヘッドホンをかけて仕事をすることになり、コミュニティを求めて行った場所で誰とも話さなかったことにぎこちない思いをするのです。当然ながらコワーキングスペースでは、ビデオ通話はしにくくなります。普通は独りになれる場所がなく、常に多少なりとも物音がしていますし、他の人の迷惑にもなりかねないからです。さらに、時には人前で話したくない内容もありますから……。

仕事場を日々考えるストレス

これは私だけかもしれませんが、毎日どこで仕事をするか決まっていないこと、そしてどのハードウェアを持っていく必要があるか(例:キーボード、DVIアダプタ、充電器)を考えなくてはならないことは、厄介な問題になっています。常に同じオフィスで仕事をするなら、そんな考えを巡らす必要もないのですが。

ちなみに、喫茶店で仕事をすること、少なくとも一日中いることはやめた方がいいかもしれません。大抵は物音がし過ぎますし、1時間ごと(個人差あり)に食べ物や飲み物を注文する義務感に駆られるのは嫌だからです。そして、椅子も腰に良いものとは言えません……。

常に仕事場にいる

リモートワークをしていると、夜でも仕事場から離れません。その上、タイムゾーンの異なる人と仕事をする場合、自分の一日はすでに終わっているのに先方と色々連絡を取る羽目になるかもしれません(私は、ニューヨークやサンフランシスコの人と仕事をした際、これを何カ月も経験しました)。そうしなければチームとコミュニケーションを取る時間をほとんど確保できないかもしれず、プロジェクトの進行が大きく妨げられる可能性があるため、多くの場合もっともなやり方ではあります。しかし、仕事について案じる時間が一日中ない状態は、長期的に見てやはり精神衛生に良くありません。

また、自宅で仕事をしていると、職場から帰宅する場合に比べて、クールダウンする時間がありません。私にとって理想的な通勤時間は片道15~20分です。歩くので少なくとも軽い運動になりますし、ちょっと別のことを考えたりもできます。私の場合、ビデオミーティングの30秒後に夕食の食卓に就いたようなことも多々あり、そのような時に子どもにしっかり目を配るのは必ずしも簡単なことではないのです。

キャリアリスク

リモートワークをしていると、あなたの仕事ぶりが会社に見えにくくなります。いずれ責任の重い仕事を務めたいなら、この状況は問題になるかもしれません。例えば、私がかつて仕事をしていた企業では、オフィスで働いている人の方が昇進する傾向にあった気がします。リモートワークをするなら、そのリスクを考慮する必要があります。

もっとユーモラスな観点で言えば、ひげもそらずスエットパンツ姿であまり時間的制約のない環境で何年も仕事をしていると、オフィスでの仕事に復帰するには不向きな人になってしまうかもしれません。ソーシャルスキルが低下してしまう可能性があるのです。 漫画全体は http://theoatmeal.com/comics/working_home をご参照ください

まとめ

全体的に見て、私はここ数年のリモートワークを楽しんでおり、子どもが小さい時にこの働き方ができたことは家族や妻の役に立ちました。幼い子どもはよく病気をするものですが、その時に私が前より子どもを見られるようになったことで夫婦が大きな困難もなく仕事を続けられたのは、リモートワークのおかげだったと思います。その融通性を得た代わりに夜や週末に働いて仕事の遅れを取り戻す必要はありましたが、それでもリモートワークの仕組みは大変ありがたかったです。

また、リモートワークによって、地元の求人市場ではおそらく見つけられなかったような優秀なチームの一員として、野心的なプロジェクトに取り組むことができました。ですからトータルで言えば、私は今でもリモートワークが大好きです。

その一方、リモートワークを5年以上してきた経験から、この働き方は精神衛生にかなりダメージを与えることがあり、主に私が怒りやすかったせいで家族関係にも望ましくない影響を及ぼしたと言わざるをえません。実際にやってみる前は、生活のための最適な解決法に見えるかもしれませんが、お話ししてきたように、リモートワークには思いもよらない様々なストレス要因があるのです。

まとめると、私にとって最大の問題は、自分がテキスト処理マシンになったかのように思えてくることです。入力としてメールやJiraチケット、チャットメッセージを受信し、出力としてコードを書いているだけで、もっと作業の意義を感じるのに必要な人間的なやり取りがないのです。「リモート開発者ブラックボックス」のようにはなりたくありません。