私の人生を変えた2度目のハッカソンへの参加

(注記:4/10、いただいた翻訳フィードバックを元に記事を修正いたしました。)

4年前の今日、私は友人のJohn Brittonに誘われて、初めてハッカソンに参加しました。このことが、私の人生を予想もしていなかった方向へと進めることになりました。

まず、最近になってハッカソンに参加するようになった方にお伝えしておきますが、当時(2011年初め頃)、ニューヨークで開催されるハッカソンイベントは年に5回程でした。HackNYPennAppsは最近になってできたもので、“ムーブメント”として学生を対象に開催しているハッカソンはありませんでした。私の推測ですが、毎年ハッカソンに参加する人数は、アメリカ北東部全体でおよそ1,000人だったと思います。

Flat World Knowledge Dev Team Alpha

当時私は、アメリカ史の学士を取得するためにニューヨーク州立大学ストーニーブルック校に通う傍らFlat World Knowledgeと呼ばれる小さなエドテックのスタートアップで、パートタイムのWebデザイナーとして働いていました。親友のJohn Brittonは、この頃Flat Worldを退職し、Twilio初のニューヨーカー・デベロッパ・エバンジェリストになっていました。彼は何か月もの間、移動に2時間もかかるニューヨーク市で開催される様々なハッカーイベントに一緒に参加するよう私を説得し続けましたが、私はその度に何かしらの口実をつけて断っていました。

実のところ、私は自分自身をハッカーだとは認識していませんでした。ニューヨークの郊外でわずかなオープンソースのテキストブックを発行する風変わりな企業であるFlat Worldの外の世界の、“スタートアップ”や“ハッカー”の文化がどんなものなのかもよく知りませんでした。実際、高校の歴史の教師になるつもりで受講していたストーニーブルックでのコンピュータサイエンスの特別プログラムも途中で断念しています。仕様に沿ってソフトウェアを構築する無名の会社で、パーテーションに囲まれながら仕事をしたくはありませんでした。何年もの間、趣味や仕事でコードを書いてきましたが、プログラミングに対する社会の考え方という私の固定概念が、フルタイムの仕事にすることを思いとどまらせていたのです。

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ハッカソンに参加するJohn

私がスタートアップで働いていた唯一の理由は、大学のカウンセラーとしてアルバイトをしていた時に、伝染性単核球症(そうです、キス病と呼ばれるあの病気です)にかかってしまったからです。この病気のおかげで大学を1学期休むことになってしまいました。症状もよくなり、普通の食事ができるようになると、家があるナイアックで暇をもてあそぶようになり、仕事を探し始めたというわけです。Flat Worldに応募したのは、オフィスが実家からすぐだったという理由からなのですが、奇跡的に仕事を得ることができました。

Johnには何度もハッカソンに誘われていましたが、私が実際に初めて参加するまでには、何度かの試みがありました。本来のハッカソンイベントであるhackNY hackathonTechCrunch Disrupt hackathonに参加しない代わりに、Johnが「これなら簡単に最新のネットブックを獲得できる」と、最終的に私を納得させたのが、Twilioのブログコンテストへのプロジェクトの応募でした。私が提出したプロジェクトは、PHPで作成した簡単なアプリケーションです。どんなものかというと、ユーザがTwilioの電話番号宛てに、ある言語でメールを送信すると、Google翻訳のAPIを介し、受信者が使用する言語に翻訳されてグリーティングメッセージがSMSで届くというものです。このアプリケーションを構築するに至った経緯についても、適当に作り上げてしまいました(ほとんどが事実とは異なります)。ストーニーブルックには数多くの外国人留学生が在籍していたので、お互いの文化を分かち合うことができる架け橋があればどんなに便利なことだろうと。

アプリの構築にはさほど時間はかかりませんでしたが、私はコンテストが好きな人間なので、ハマってしまったんです。それからは、定期的にTwilioのブログをチェックして受賞者の発表を待っていました。そんなある日、John Sheehanからメールが届きました。それは、私が受賞者に選ばれ、最新のKindle(この時は、ネットブックではありませんでした)を獲得したことを伝えるものでした。Twilioのブログには、私のこと、そしてこのプロジェクトに関することが掲載されました。当然のことながら、何百万人という熱心な読者がいるでしょうから、私は自分を特別なんだ、と感じることができたのです。

私が次に作ったTwilioのアプリは、さらに壮大なもので、大学内で開催されているHumans vs. Zombiesと呼ばれる1,000人で行う鬼ごっこの実施を手伝うことでした。この時、私たちが何度も直面した問題は、ナーフブラスターを武装した大勢の仲間たちとのコミュニケーションです。Twilioでの受賞のことがあったので、私は大規模なアプリを構築することができると感じていました。Humans vs. Zombiesゲームで遊ぶプレイヤーたちが連携できるようにと、新たにグダグダなTwilio SMSスクリプトを書いたのです。これに注目した友人のJohnは、2011年1月にKnewtonの本社で開かれたTwilio’s first NYC Meetupでこのプロジェクトを発表するようにと私を誘ってきました。Twilioは私のことをヒーローのように扱ってくれました。新人だとか、話が下手だとかはどうでもよく、ただ自分のことをとても優秀な人間だと思えたのです(私のジョークは依然、イマイチですが)。

この頃、私はTwitterもするようになりました。主な理由は、ツイートコンテストで優勝して商品をゲットすることだったのですが、すぐに病みつきになってしまいました。その間、Johnは継続して私をハッカーイベントに誘ってきました。Twilioのアプリを構築し、特別な気分を感じることがきたという勢いも手伝って、ようやく私自身、イベントに参加する自信を持つことができたのです。私は、Brandon Diamondが主催するTown Hallの1つであるnyhackerに参加し、すぐに管理者権限を持つ“ルート”になると手をあげました。

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Twitterコンテストが大好きな私は、StartupBusという新しい形の不思議なイベントに申し込む権利を得るためにTwitterでつぶやき、nyhackerに参加した直後に申込書を提出しました。

これが、私が初めてハッカソンに参加するきっかけでした。当時私は自分を“ハッカー”だと認識し始めつつも、なんだか背伸びしすぎなヤツになっている気がしていました。私はパーソナルブランドやネットワークを持たない、さほど経験のないデベロッパだったからです。そんな時、Johnや#nyhackerのIRCで出会った何人かの友人から、Music Hack Dayに参加しようと説得を受けました。フラットアイアン地区にあるGeneral Assemblyと呼ばれる新しいコワーキングスペースで開催されるハッカソンです。


私はこのハッカソンに参加しました。知らない人ばかりだったので、イベント中の大半をJohnとBrian(Flat Worldの時の同僚)と一緒に過ごしました。実際に使えるものを作ってデモをすることになっていたので(Music Hack Dayの参加者は誰でもデモをすることができます)、私は一晩中アプリの構築に励みました。これは非常に大規模なイベントで、200人以上の人が集まっていました。私の開発したアプリはMashMeといって、当時好きだったアーティストの1人、Girl Talkに倣ったマッシュアップジェネレータでした。私はPHPでWebアプリケーションを書きました。他のものを知らなかったからです。このPHPのWebアプリはEcho Nest RemixのAPI を使用して、実際にマッシュアップを生成するPythonスクリプトと連動していました。最終的には、APIを追加するという、賞を獲得できるくらい素晴らしいアイデアも思いつきました(賞は取れませんでしたが)。

私は頭がおかしくなるくらい作業にのめりこみ、デモの直前にはかなり緊張していました。しかし、やりきりました。みんなが拍手してくれて、話し終えた私のところに来て、どうやって構築したのか聞かれたり、このアプリの機能に加えられそうな新しいアイデアを話してくれたりしました。何ということでしょう。私はものすごく感動し、眠気など完全に吹き飛びました。

The only photo of me from MHD - I'm in the Red Hoodie
Music Hack Dayで私が写っている唯一の写真です。赤いパーカーを着ているのが私です。

Music Hack Dayは、私の人生を変えるには至りませんでした。誤解しないでくださいね。あれは未だに人生最高のハッカソンです(何でも初回が1番じゃないですか?)。それでも、人生が変わったわけではないのです。

私の人生を変えたのは、2度目のハッカソンです。Music Hack Dayの後の数週間、私はTwitterのH.A.M.を訪れました。StartupBusに興味を持っている人や参加しそうなポテンシャルのある人々を探し出し、その人たちに自分のアイデアを伝え始めたのです。私は赤の他人とお茶をして、StartupBusに乗ったら自分のチームに入ってほしいと説得しました。後になって分かったことですが、運営を担当しているJustin Isafは当時、私を頭のおかしなヤツだと思っていたそうです。本当にそのとおりですね。

私はバスに乗り込みました。明け方のとんでもない時間(午前5時ごろ)にプレゼンをして、6人のチームメンバーを集めました。みんな私よりデキる、経験豊富な人たちでした。John BrittonChris KennedyDavid KayDerina ManNicholas GreenfieldChris Jeaneの6人です。彼ら一人ひとりについて話したいことは山ほどありますが、それはまた別の機会にしましょう。私たちは1週間ぶっ続けで開発を行い、WebアプリやiOSアプリ、Androidアプリ、そして個人のデベロッパがすぐにWindows Phoneアプリを構築できるよう詳細なドキュメンテーションをつけたREST APIを、SXSWの会場で披露しました。私たちのプロジェクトはTechCrunchやCNN、AdAge、その他多くのメディアに取り上げられました。私たちはまるでロックスターになったような気分でした。私たちに資金提供(ものすごい額です)しようという投資家が現れたり、実際にアプリを使ってくれる人々がいたり、競争相手だった他の参加者の間では私たちの神話まで創り上げられていたのです。優勝はできませんでしたが、そんなことはどうでもよくなっていました。

StartupBusとSXSWを終えて帰ると、私は約1週間ひたすら眠りました。そして目覚めると、私の世界観は全く変わっていたのです。こんなにも短い期間でコンフォートゾーンをはるかに超えられた自分なら、何だって成し遂げられる気がしました。

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約4ヵ月の間に2回だけハッカソンに参加して、開発者のコミュニティに足を踏み入れてみたことで、私の人生は変わったのです。

私が初めてハッカソンに参加したのは、友人の後押しがあったからです。人生を変えるような経験を求めて行ったわけでも、新たな技術を習得したかったわけでも、特別な魅力のある人たちに出会いたかったわけでもありません。これらはハッカソンの作り出す環境から生まれたものです。ハッカソンには、短期間で何かを構築するというプレッシャーがあり、周りには衝撃を受けるようなものを開発する人々がいて、日々の生活の中では絶対に関わることのないようなテクノロジに触れる機会が与えられています。いろいろな意味で、実際のハッカソンという経験から生まれる副産物こそが、ハッカソンの主催者が導いてくれているものなのです。

私の友人John Brittonの説得がなかったら、私は今頃高校の歴史の先生だったかもしれません。今の私があるのは、彼が発見した新しいカルチャーに足を踏み入れてみようと、粘り強く説得してくれたおかげです。当時の私にとっては、そこは居心地が悪く、未知の世界でした。もしあの時思い切って踏み出していなかったら、私の人生はどんな風になっていたのか、想像もつきません。

あなたの友人のために、次回のハッカソンには友人も一緒に連れてきてください。そして2回目も参加しようとその人を勇気づけてあげてください(1回目より2回目の方がきっとうまくいきます)。この情熱や興奮、コミュニティのサポート力を信じるには、まず経験してみなければなりません。もしかしたら、それがあなたの友人の人生を変えることになるかもしれないのです。
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